2022年10月に短期のリサーチに訪れた阪上洋光は次の本格的な滞在に向けて『SUZAKI国際演劇フェスティバル』という架空の演劇祭を企画した。しかし、予め用意していた3つのプログラムのうち、2つはほぼ機能しなかった。ステージ設営に使うつもりだったジョイントマットは、どことも誰ともジョイントすることはなかった。事前に準備したモノコトは相手を誘導していくものだと考え直した阪上は、予定していたプログラムを白紙にもどし、かかわった一人ひとりに関心を寄せ、観察し、個々の日常の姿を演劇の形へと再構築し、記録を重ねた。
001~012のナンバリングされたテキストは2度の滞在を時系列に振り返った阪上のことばである。
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001 きみ、アーティストなんか?
ひとりのアーティストとして須崎に滞在する。これ、ぼくにとってとっても大きなチャレンジでした。こわかったのかも? どうだろう? わ かんない。とにかく、ぼくはぼくを新しく見出すことができるのだろう かと胸が華やいでいた。
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002 出会いがしらを求めていた
ぼくが空想したもの。例えばそれは、準備し稽古し積み上げた演劇作品 の発表ではなく、もっとむき出しの、そう、突発的なもの。そんな演劇 っぽいなにかに出会いたいと思った。きっとそれって根源的ななにかだ ろう。きっとそれって、新しいけど前からどこかに、いやどこにでも存在したものなのだろう。それっていったいなんだろう? 果たしてぼく はそんな演劇っぽいなにかに出会ったとき「これこそが演劇だ」と喜べ るのか?
「独り言」2022年12月25日 の記録 約16分
市内在住の上岡さんはこの数年でまちかどギャラリーを頻繁に訪れるようになった。ワークショップなどに積極的に参加してくれるほか、折り紙の講師としてご協力いただく事もある。
軽度の障がいを自覚していて、そのことで対人関係への不安や、生きづらさを感じつつも日々の創作活動に喜びを見出している彼女が阪上洋光と打ち解け、これまで一人書き溜めていた「独り言」を見せたことをきっかけに今回の発表となった。
展示では「独り言」を読み上げる彼女と阪上とのダイアログを記録した映像が流され、傍らに自筆の原稿と折り紙の創作物が並べられている。
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003 うしろの正面だあれ?
それから考えたこと。須崎の子どもたちと遊んでみたい。ぼくが持ち込 める遊びは「演劇」しかない。だって「演劇」しか知らない。でも正直 「演劇」ってなんなのかよくわかってない。それからまた考えた。演劇 ワークショップはしたくない。学びの場っぽくして自分を誤魔化しませ んようにと誓った。誰かの役に立ちたくなっても、せっかくのこのチャ ンスをふいにして、自分を簡単に「手慣れた手法」に売り渡してしまい ませんようにと注意喚起した。無名の自分を恥じてひとに大きく見せた り、誰かの後ろに逃げ込みませんようにと自分を笑い飛ばした。
「SUZAKI国際演劇フェスティバル」2022年12月29日 の記録 約20分
「SUZAKI国際演劇フェスティバル」当日は子供たちが思い思いに発表を行う場となった。偶然にも時を同じくして地区の老人会で使われていたという舞台幕が寄贈されたことから、これを背景として即席の舞台が設けられ、集まった観衆の前でそれぞれが胎内記憶を話し、即興の寸劇を始めたり、阪上がインタビューする形で将来の夢が語られた。
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004 Q&Q
ぼくはぼくの劇を作ろう。子どもたちにインタビューしよう。自分の名 前の由来、この町のこと、好きな子のはなし、家族のこと、うれしいこ と、くやしいこと、将来の夢、いま大人たちに思うこと、防災のこと、 海が好きか、空が好きか聞いてみよう。生まれた時のこと、生まれる前 のこと、反抗期について、大人になること、結婚について、出産につい て、いのちについて、老いることについて、死ぬことについて訊ねてみ よう。好きな食べ物、嫌いな食べ物を教えてもらおう。言われてうれし いことは? 言われたら恥ずかしいこと、いままでやった一番ひどいい じわるってなに? いままでやった一番大きな親切を覚えてる? 君は須崎が好きか? どこが好きか? 君は須崎がきらいか? なにが きらいか? 君は家族が好きか? ねえ、君は君が好き?……
—朗読—
草稿「お掛けください」 約4分
SUZAKI国際演劇フェスティバルの会期中、須崎市内の小学校では感染症が拡大。自粛ムードが漂う中、一人まちかどギャラリーで参加者を待つ間、そわそわとした気持ちの中で台本を書いた。
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005 胎動
10月。須崎へ下見に向かう列車の中で子どもたちと出産芝居をやろうと思いついた。自分で膨らませた風船をお腹に忍ばせ男も女も妊婦になるんだ。そして、お腹の子どもについて語るのだ。いいじゃない。面白そうじゃない。自分で自分を産んでみる。どんな子に育てたいのか考えてもらおう、どんな町で暮らしたいのか語り掛けてもらおう。親の立場でお腹の中の赤ちゃん(つまり自分自身)に語り掛ける。これが、須崎でぼくがやってみたいこと。
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006 さっかん通信
下見のための須崎滞在記は自身のブログに残したので割愛。 「現代地方譚10」というタイトルで9回に分けて記録しています。 (リンク先が別ウィンドウで開きます)
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007 自称流しの国際演劇フェス師
大阪に戻って数日経った頃、実行委員の方々がズーム会議を設けてくだ さった。一回目の会議で自分のやってみたいことは「演劇フェス」なの だと大発見をする。フェスの名前も決まる。
『SUZAKI国際演劇フェスティバル』
ぼくは「自称流しの国際演劇フェス師」という肩書きを捏造することに した。
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008 SUZAKI国際演劇フェスティバル レジメ
以下、転載【現代地方譚10】阪上洋光の場合……
■プロフィール
阪上洋光/sakaue hiromitsu 1978.12.8~ 日本/Japan
自称「流しの国際演劇フェス師」(劇作家・演出家・俳優・演劇教師) 高校在学中に故秋浜悟史氏の劇表現に出会い衝撃を受ける。大阪芸術大 学大学院芸術制作研究科修了。知的障がいを持つ方々との劇作りが大好 き。ずっと阪上洋光の劇表現を探求している。いちびり一家□すぺーす 代表。
■序
2001年に劇団を結成。2020年以降は実質活動休止。我々にとっ て新型コロナウイルスはきっかけに過ぎない。現状は起こるべくして起 きたと納得している。活動休止中に集団名から「劇団」を外し「□」を 発見した。
■俺の目に世界は演劇フェスに見えてんだぜ!
――というわけで自称「流しの国際演劇フェス師」を名乗ることにした。 これは実行委員の眞嶌直子氏、佐々木ホゲット氏とのオンラインミーテ ィング中に決まった。大笑いした。だから覚悟できた。自身のやってみ たいこと、感じてみたいこと、確かめてみたいことをお話ししていると 自然に流れ着いた。
■『SUZAKI 国際演劇フェス』
あえてSUZAKIと表記。ZはSを反転させたデザインにして頂く (眞嶌家次男のアイデアに感謝)。そして、このインチキフェスが今回の AIR作品となる予定。プログラムは以下の通り。
『シリーズ・暮らし(出産)』
『シリーズ・暮らし(反抗期)』
『シリーズ・暮らし(わが町)』
『即席芝居~NIWAKA~』
……いずれも出演者は市民有志
『占いの館』
……阪上の無料占い
追記:滞在中に企画書を更新させていき、企画書を再提出する。
■SUZAKI国際演劇フェスについて
――世界は舞台 男も女も みんな役者――(シェイクスピア) ぼくは今回「ひとはそれぞれそのままに、すでにひとつの演劇なのだ」 という価値観の実践を試みたいと思っています。ぼくの今後の生きる指 針となる「俺の目に世界は演劇フェスに見えてんだぜ!」という眼差し を鍛えたいと思っています。
何者にもなれなかったぼくに、ある日突然「アーティスト」という役を ここ須崎で演じるチャンスが巡ってきました。ぼくは飛びつきました。 自信もなけりゃ、余裕もない。でも、この「ない」を丁寧に見つめてい けば、ぼくはいよいよ「本当の自分」に目覚めるかもしれないと直感し ました。
まず須崎でやってみたいと思ったのは、子どもたちとの劇作りでした。
できるだけうそっぱちで、ありえなくって、だから唯一無二の存在感を 放つ芝居。
――子どもたちによる出産芝居。自分を自分で産み直す芝居。
男も女も身重になって、自分をもう一度お腹に隠して「名付け直す」ところから始めよう。それから、耳に残っている「暮らし」の中の言葉を再利用しせりふにしたい。親のお小言なんかをそっくり真似て演じてもらおう。自分たちで親になる不安を想像してみる。気持ちに寄り添う言 葉を探そう。どんな子どもに育てたいか夢を語ろう。子どもが暮らす須崎の町はどうあって欲しいのかなど、お腹の子ども(自分自身)に語り 掛けてもらいたい。
例えば、練習や稽古に頼れない即日発表がいいかなぁ。あ、でも準備のための作戦会議を一回、そして約束の日に集まって発表する。お客に見せてもいいし、記録だけを残してもいい。あとでこっそり親たちがその 記録をアートギャラリーで観たっていい。もしも誰かから「生で見たかった」「ライブで観たい」と声が上がって、もしも役者がその気になったなら――、先のことはその時考えていけばいい。それに、もうやり方も 判ってるから、自分たちで企画して公演をすることだって可能なはず! ……と夢は膨らむ。以上が先述した「シリーズ・暮らし」の劇の構想です。この番組をメインに据えて、似たような企画を同時に呼び掛け、うっかり出会ったみなさんと「即席芝居」で遊びたい。生活がそのまま劇になる。ぼくはアートギャラリーに常駐し「待つ」。祭りの語源は「待つ」だと聞いたことがある。このような偶然大好き。そして激しく納得している。待つ、祭り。古来ひとは神が宿るのを待っていたのでしょう。ぼ くは待たず――、須崎へ行く!
2022・11・14 文責:阪上洋光
当初構想された「SUZAKI国際演劇フェスティバル」の概要
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009 演劇はひとりではできない
ぼくはすっかり浮かれていた。なにか新しい試みに着手したような気がして、まだなにも始まっていないのに、なにもやっていないのに、もう満足していた。しばらく演劇を作るという行為から離れていたから演劇的身体感覚が鈍っていたのだ。二回目のズーム会議のあと、ようやく思っただけではダメなのだと気づかされる。それは会議中のなんでもない 会話の中で起きた。
「ターゲットはどこなのか?」
「だれに来てほしいのか?」
「どこに呼びかけるのか?」
「どこに協力を仰ぐのか?」
ぼくは、なにも起きなければ起きなかったで構わないとおもっていた。
実行委員のみなさんは、なにも起きなければ起きなかったで構わないか ら、できるかぎりのことはやってみよう、と思ってくださっていた。 雲泥の差とはこういう時に使うのかもね。
「別でチラシを作成し呼びかけましょう」
「デザイナーに相談しましょう」
「子どもたちを呼ぶために親を安心させる文章も大切です」
この会議をきっかけにぼくの取り組みははっきりしたし、一生の宝物に なるすてきな募集チラシが誕生した。(別紙参照)
演劇はひとりではできない。身に染みた。感謝した。
「SUZAKI国際演劇フェスティバル」フライヤー
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010 さっかん通信 その2
SUZAKI国際演劇フェスティバルの記録もブログに残した。 「即席演劇フェス」のタイトルで11回あります。(リンク先が別ウィンドウで開きます)
「SUZAKI国際演劇フェスティバル」当日に掲出された立て看板
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011 館長はすごい
最終日、ギャラリーの閉館時間をもってフェスは終了した。 ぼくは持ち込んだ僅かなものをカバンに仕舞い、使わなかったジョイン トマット9枚を館長にお見せした。これは3×3で床に敷いて小さな舞 台として使用するつもりだった。つまりメイン会場になるはずだったも の。
「ギャラリーでなにか使い途あれば使っていただけませんか?」 「展示で使いましょう」
ぼくは意味が分からなかった。なにかを展示する際の緩衝材にでもご活 用くださるのかと思った。
「準備してきたけど使わなかったものとして展示しましょう」
館長はすごい。ぼくが体験したすべてをたった一言で言い表してしまっ た。ぼくが準備し事前に考えたものはことごとく意味をなさなかった。 それが「SUZAKI国際演劇フェスティバル」だった。
館長はぜんぶご存じだった。ぼくがここでなにを楽しみ、なにに戸惑い、 なにを発見し、なにに驚き、なにを喜んでいたのかを。
ジョイントマットの展示
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012 阪上洋光を生きる
暇つぶしくらいにはなるだろうと、いたずら半分でメニューに加えた 「占いの館」はぼくの予想を裏切り大好評だった。ご参加くださった皆 様ありがとうございました。おひとりずつの鑑定を通して、とても魅力 的な物語に出会えました。あの時間もやっぱり「演劇祭」でした。
結果のために他者と関わらない生き方って、ぼくはやったことがない。 ぼくにとって演劇がすべてだったから。演劇は、結果がすべてだから、 上演できたものがすべてだから、その瞬間のためになら、なんだって辛 抱できたし、鬼にも蛇にもなれた。そんな風に思い込み、自分の価値観 を他者に押し付け、コントロールし、無理強いする生き方を好んでやっ てきた。そして、他者を傷つけながら、その何倍も自分自身が傷ついて いると大げさにのた打ち回って、みんなの「SOS」を封殺してきた… …らしい。うそやろ? まじで? いま、この文章を書きながら、この 真実に気づいて、ぼくは愕然としている。
須崎の町は、空が近い。海が近い。山が近い。ひとが近い。魚がうまい。 風がぼくを吹き抜けていく。ぼくはここで、演劇に出会った。
ぼくがずっとずっと、ずーっと探していた演劇。それはぼくだった。 ぼくは、ぼくを生きる。阪上洋光を生きる。
仕方ない。それよりほかに方法がない。
どうしよう、こんなにも感動的なのに、なんて陳腐な文章だろう? 仕方ない、ぼくは陳腐なのかもしれない。それなら、それでいいかもし れない。ぼくは自分が陳腐だって知らなかったのだから、新しく陳腐な んだもの、仕方ない。そして、面白い。
アーティストって、こうして「自分」を生きる覚悟をした人のことじゃ ないの? ぼくは、このプログラムに参加し、終えて、いま、やっと、 このプログラムの入口に立てたみたい。
須崎でぼくが生まれた。
2023年1月19日
「占いの館」2022年12月21日(水)~29日(木) の記録 約7分
オラクルカード、日本の神様カードによる占い術を見様見真似から会得していた阪上は演劇フェスティバルの余興のつもりでプログラムの片隅に加えたが、蓋を開ければこれが一番の人気企画となり、連日阪上の占いを希望する人が後を絶たなかった。
通常は当事者同士で秘匿された空間で行われる占いが、ここでは衆目を集める場で開示されていた。誰かに成り代わり、相手に投げかける阪上の言葉と、それに頷き涙を流す聞き手。漠然とした不安を抱える人々が包摂的な話者の立ち居振る舞いを通してカタルシスを得る構造は舞台演劇のような大きな仕掛けと個×個のやり取りも同じ軸線上にあることを示しているようにも思われる。
展示では実際に使用された占いカードを机上に並べ、阪上が座っていた席に置いたタブレットで占いをしている阪上を抜き出した映像が流される。